「靖国参拝」や「国葬」は「悼む」こと一般には解消できないこと
さて、靖国参拝や所謂「国葬」が「人の死を悼む」こと一般には解消できないことは明白です。
靖国は明治以来の国家神道の中心であり、「日本政府」の一員が「靖国参拝」することは、いわばWWIIにおける日本帝国主義の侵略性を「公的に」否定すること、つまり現在の国際秩序の根幹を公的に認めないこと、を意味する。
であるから、歴代自民党政府関係者の多くは、「私人として」という「言い抜け」で参拝してきた。
しかし、日本に侵略された東アジア、東南アジア諸国からすれば実質的には、「同じ」こと。
であるから、「靖国」派=日本政府になればなるほど日本はアジアで孤立することになる。
日本政府・外務省は米国にさえ従っていれば、日本は安全と思い込んでいるようだが、それはあまりにも「ナイーヴ」過ぎる。
もはや米国の世界戦略にとっての優先順位は日本よりも対中国。日本は中国を「牽制する駒」位にしか扱われていない。
それにしても「朝日」の言説戦略、加藤典洋の『敗戦後論』の時から全く「ブレていない」。
ちなみに加藤典洋は東大全共闘、また東浩紀が海原猛と共に「師」と仰いでみせる男である。
その際東は「天皇制は日本文化に不可欠」と言ってのけた。