「フォークロアからサブカルチャーへ」中・5
さて、「フォークロア」に戻ると、ここに「反体制」的・「カウンター・カルチャー」的なものを読み込むのはやはり無理があります。これはかつて幕藩体制下の「百姓一揆」に「反体制的」な「階級闘争」を読むこもうとした試みが、「実証」研究が進むにつれ覆されていったことと相似的である、とも言えるでしょう。
しかし、近世の「村」が明治以降の「農村」と比較すると相対的に「自治」が機能している単位であったことと相似的に「フォークロア」は支配者の文化からは「自律した文化」として機能していたことは間違いありません。
この点は、フランスの「アナ―ル学派」の「民衆文化」論が明らかにした、近代以前の「民衆文化」の在り方と明らかに比較可能な現象であった、と言えましょう。
また、英国のE.P.トムソンなどが研究した資本主義文化の浸透に一定程度ブレーキをかけていた「モラル・エコノミー」についても、比較可能ではあります。
ただ、ヨーロッパと比較した場合、近世日本の「モラル・エコノミー」は明らかに脆弱なものでした。それだけ、江戸時代の日本にはすでに「市場経済」が浸透し、「資本主義のエートス」を準備する、「プロテスタンティズムの倫理」ならぬ「通俗道徳」が普及していたのです。