「フォークロアからサブカルチャーへ」中・3
それに対して、先に挙げた「贄前さん」、「海民」、「山伏」などの移動・漂泊する民は、一応中世までは「存在様式」が遡れる、と推定されます。ここに、網野善彦が「民俗学」へと接近した文脈が理解できるとも言えるでしょう。
ちなみに折口信夫の「民俗学」は、「文献資料」、「実証主義」を一切否定し、・・・その意味で本居宣長の「文献学」的実証主義も批判する・・・「神に憑依された」読者(折口)と「バイブル」記紀との対話の中で「国家神学」を構築せんとする投企であって、柳田の方法論とはかなり異なります。
従って「歴史学」と折口の間には通常接点がありません。逆に文学研究や批評の世界で折口は、ある程度重視されてきたと言えるでしょう。
ただ、以前に少し紹介した、日朝関係を重視した古代史家上田正昭(歴史学において「帰化人」を「渡来人」へと変更させるのに大きな役割を果した。高麗美術館館長も務める)は興味深い例外です。
上田は自身神職でもあり、国学院大学専門部在学中折口に師事し、ゲイであった折口の、若き愛人の一人でもありながら、訣別して京大文学部史学科に入学。
方法的に言語学・神話学・考古学などを応用し、朝鮮半島との関係をクローズアップした「古代史」を構想しました。