『駅馬車』や『怒りの葡萄』で知られるアイリッシュ系の映画監督J.フォードは、WWII中海軍の戦時撮影班のリーダーとなり、ミッドウェイ海戦を現場で撮影、その際日本の戦闘機の機銃掃射で左腕を負傷。その障害は生涯続きます。

 またフォードは日本では「玉砕」第一号で知られるアリューシャン列島の戦闘も現場で撮影。
 これは米軍兵士の死傷者もフィルムに収められていたため、公開は見送られます。

 ここに一つのエピソードがあります。フォードが現場撮影したフィルムを軍上層部に見せた際のこと。
 映写が始まると、軍高官たちは一人去り、二人去りし「10分程でフォードだけ」になった。
 フォードはこのエピソードを好んで語り、軍上層部は「現場」の戦場について「全くの無知」であることを強調しました。

 フォード自身も戦後長くPTSDに苦しみました。超タカ派のJ.ウェインを可愛がってはおり、兵役経験なしのジョンを戦争映画の主役に抜擢はしましたが、「敬礼の仕方からしてなっていない」と罵倒し続け、その後「泣き崩れる」こともしばしばだったそうです。

 フォード以外にもW.ワイラー、F.キャプラ、G.スティーブンス、J.ヒューストンがWWIIの戦時撮影に参加。この経験は4人の人生と映画を大きく変えていきます。

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訂正)

アリューシャン列島の戦闘を現場撮影したのは、J.ヒューストンでした。

フォードは、主に南太平洋の戦闘の撮影です。

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