「時間」と「空白」ーB.パスカルの格言
ある時期からの日本人、企業統合の「時間」に同期させられるようになり、学校(高校・大学卒業後)、ゆっくり本を「読む」時間は消滅した。
であるから昔(1960年頃)から、「教養」は大学4年間の蓄積で「一生分」と言われたもの。これは現在の米国でもそうらしいが、やはり日本は極端とは言えるだろう。
クラシック・コンサートや能などに行くと、99%近く「退職者」。
であるから、昔から日本の文化は若者(学生)向けにマーケティング上「つくられる」。1980年代以降、この傾向がさらに極端にはなったが。
ただ、「ヒト」というものは「時間」や「空白」ができればできればで困るもの。
B.パスカルによれば、人間がもっとも恐れるのは「空白の時間」。故に、「暇を持て余している」貴族たちは、なにはともあれ「社交」・「娯楽」でスケジュールを埋め尽くそうとする。
このあたり、近年再び話題のド・ボエシの『自発的隷従』にも通じる、フランス・モラリストの洞察、と言えるかもしれない。
とは言え、まずは企業(資本)に管理された「時間」から離脱すること、まずは必要。それには時短・賃上げが必須。
「時間」の空白と向き合うことから、フーコーの所謂「別の自己」も生まれるのだろう。