(承前)
このインドネシアの1965年の虐殺の「マニュアル」は60年代半ばから70年代にかけてのラテンアメリカの軍事クーデターに転用されていきます。
典型的な例が、73年のチリのアジェンデ政権をCIAとピノチェト、そして民間右翼が連携して打倒したクーデターです(当時民社党幹部は「天の声」と讃えた)。クーデター直前にはサンチャゴ(首都)の至る所に「ジャカルタが来る」というグラフィティが突如現れ、住民たちをパニックに陥れました。
このクーデターの指揮棒を振ったニクソン=キッシンジャーはベトナムに見切りをつけて、すでに大きな亀裂の入っていた中ソの間に楔を打ち込む、という戦略を採用していく。
ちなみに「全体主義」と「権威主義的独裁」という対比は、米国にとってアジェンデ(全体主義)とピノチェト(権威主義的独裁)を比較して、後者が「まし」という(屁)理屈として多用されます。
選挙で選出されたアジェンデをどう定義すれば「全体主義」になるのか不明ながらも、この語用は東アジア・東南アジアにも適用されます。
つまり韓国の軍事政権や日本の自民党は「権威主義的独裁」ではあるが、「左派」=「全体主義」に政権を奪われるよりはまし、という発想。
インドネシアをはじめ、タイやシンガポールなども同様の位置付けで米国は支援。