フランス革命の「例外性」
18世紀以降現在に至るまで、「革命」と呼び得る政治社会システムの大変動が発生したのは、ロシア、中国あるいはヴェトナム、キューバにせよ、すべて世界システムの「周辺」においてでした。
フランス革命の「例外性」は世界システムの中心、しかも当時のヨーロッパでは最大の人口をもつ地域で「革命」が勃発したことにあります。
そして1815年の王政復古後も1830、1848年、1871年(パリ・コミューン)と19世紀中政治秩序は革命は「反復」され続けます。
しかも、システムの中心部で起こったため1830年、48年の革命はヨーロッパ同時革命となり、1830年には覇権国家である英国でも革命の瀬戸際まで行きました。
ですから19世紀中頃までは支配階級の側からE.バークのようなフランス革命の亡霊に怯え続ける「保守主義」の思想家が誕生したり、48年革命に参加したマルクスが「世界同時革命」間近、と想定したのは「荒唐無稽」と言い切れません。
実際マルクスは『資本論』が出版される前に「革命が起こってしまう」ことを本気で心配していました。
しかし、現実にはドイツでは労働者階級が革命に「立ち上がる」可能性はなく、マルクスはフランスにおける革命が世界革命の起爆剤となる、と考えていました。
実際、フランスは現在に至るまで国家秩序への同意の調達が不完全な状態が続いています。
第三共和政は比較的長く続いた方ですが、第四共和政は植民地帝国の解体に失敗、クーデターにより崩壊。第五共和制も1968年には「革命」と呼び得る事態にまで追い込まれました。
この「同意の調達」の不足と相補的と言えるのはフランスの「警察国家」としての側面です。
これはベネルクス諸国で言うと、ベルギーはフランス的、オランダはドイツ的とはっきり分かれます。
逆に言うと、オランダ、ドイツはコーポラティズム的システムによってある程度「ボトムアップ」的な政治的決定のメカニズムが働きます。勿論新自由主義的再編によって、この「ボトムアップ」システムも機能不全化しつつはあるのですが・・・
逆にフランスは「社会」・「家族」に対する国家の介入できる範囲は他国より小さい。
例えば19世紀末からの欧米(+日本)の福祉体制は「断種政策」と1970年代まで不可分でした。つまり「有益」でない人口に資源は投入できない、ということです。
この断種政策の唯一の例外はフランスです。これは社会や家族に対する国家の介入力が「弱い」ことと相関している。
マクロンの現在の「年金改悪」の焦点はー退職年齢引き上と共にー制度の運用を国家に移す、というものです。