デーモン小暮、タモリ、ビートたけし、つまり80年代バラエティーくらいから、「笑い」の変質が始まり、芸能人の「イデオローグ化」が開始されたと思う。
つまり、かつての「芸能」の「笑い」は基本「権力」や「強者」に向けられたもの。これは中世の「狂言」でもそうだ。
ところが、80年代から戦後民主主義的な言説を「抑圧」と見做して、「マイノリティ」の人権という「タブー」を侵犯することがTVバラエティーで主流になり始める。
「ネクラ」・「ネアカ」という対語も「パラノ」・「スキゾ」という浅田彰の単純極まる二項対立とともにインテリ層でも浸透していた。
この場合、マイノリティーの人権・日本の植民地責任に拘る側が「ネクラ」・「パラノ」となる。
タモリの早稲田モダンジャズ研究会、赤塚不二夫への取り入りから始まった80年代の振る舞いは、まさに「全共闘」世代の消費社会への転向を凝縮するもの。
今頃になって「新しい戦前」などと口走って、一部では持て囃されているようだが、これも「戦後民主主義」批判で自閉していた全共闘世代の遅まきの「あせり」を象徴している。
90年代から21世紀にかけては吉本興業と維新の関係に象徴されるように、この流れの極右化が一気に前景化する。
大阪のメディアなどは吉本・維新の支配下にあると言っていい。
QT: https://social.vivaldi.net/@mamemumiko/109967589113269404 [参照]