季刊「思潮」から「批評空間」へ

三浦雅士が「舞踊研究家」を名乗り、レイシズムを「身体的所作」云々で語った(騙った)ように、1970-80年代は、アングラ演劇が新左翼、後にポストモダニズムと並走していました。

1988ー90年に発行された季刊「思潮」は、その総決算的な雑誌。編集員、鈴木忠志(早稲田小劇場)、市川浩(ベルクソン研究・身体論)、柄谷行人、3号から浅田彰です。

ここで連載され、単行本化もされた「共同討議 近代日本の批評」(浅田、柄谷、蓮実、三浦)が日本の知的空間に与えた負のダメージははかりしれない。

三浦の発言部分は一応「論外」。これは浅田、柄谷も認めていた。

しかし蓮実重彦。明らかに「一夜漬け」(浅田)だとわかる日本文学に関する「薄い」知識と思想史・歴史に関する「無知」を、例の「傲岸不遜」の悪口雑言で隠しながら、ひたすら「戦後文学」を貶めている。

この「討議」の効果もあって、「戦後文学」を研究する人間がいなくなった。ま、これくらいで研究がなくなるのであれば、「近代日本文学」研究など「いらない」けれど。

また、ここでの蓮実の加藤周一、林達夫への罵倒は凄い。

蓮実は一方で東の本を「勇気をもらった」などと賞賛してたわけだから、実質サントリー・笹川の走狗として活躍したと言える。

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「アングラ・小劇場」についての補足

ここで「アングラ・小劇場」に言及していますが、三浦雅士の「詐欺師」振りとは一応別です。

ただ「身体の復権」・「土俗性」というような「アングラ」に共有されたキーワードが80年代の消費社会化とともに薄められ、資本主義に回収されていった、とは言えるでしょう。

蜷川幸雄などはその典型。
蜷川演出・清水邦夫の1969年上演の「真情あふるる軽薄さ」は当時の「全共闘」をはじめとした学園紛争時の学生たちに熱狂的に迎えられたとされます。

しかし、この芝居、2001年に再演された際に見たけれども、これは驚愕した。まさに新左翼・全共闘の「ミソジニー」爆発の理念型。「正しい」ことを語る女性の学校教師が徹底的に貶められている。

これは、現在の批評理論から一度徹底的に分析・批判されるべきでしょう。

ただ、他方WWII以後、新劇からアングラ・小劇場へという展開は戦後日本の文化史としてーその限界も含めてー統一的に描かれる必要はあります。

例えばアングラ・小劇場の「土俗性」の資本主義への回収。これはフォークロア解体からサブカルチャーへの再編と直結しています。

70年代はじめに連載が始まったゴルゴ13、初期の頃はA.アルトーの名が登場する。

アルトー、今知っている演劇人、どれだけいる?

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