「アングラ・小劇場」についての補足
ここで「アングラ・小劇場」に言及していますが、三浦雅士の「詐欺師」振りとは一応別です。
ただ「身体の復権」・「土俗性」というような「アングラ」に共有されたキーワードが80年代の消費社会化とともに薄められ、資本主義に回収されていった、とは言えるでしょう。
蜷川幸雄などはその典型。
蜷川演出・清水邦夫の1969年上演の「真情あふるる軽薄さ」は当時の「全共闘」をはじめとした学園紛争時の学生たちに熱狂的に迎えられたとされます。
しかし、この芝居、2001年に再演された際に見たけれども、これは驚愕した。まさに新左翼・全共闘の「ミソジニー」爆発の理念型。「正しい」ことを語る女性の学校教師が徹底的に貶められている。
これは、現在の批評理論から一度徹底的に分析・批判されるべきでしょう。
ただ、他方WWII以後、新劇からアングラ・小劇場へという展開は戦後日本の文化史としてーその限界も含めてー統一的に描かれる必要はあります。
例えばアングラ・小劇場の「土俗性」の資本主義への回収。これはフォークロア解体からサブカルチャーへの再編と直結しています。
70年代はじめに連載が始まったゴルゴ13、初期の頃はA.アルトーの名が登場する。
アルトー、今知っている演劇人、どれだけいる?