学術会議問題と国体明徴事件
WWII後の「占領改革」で、特高を管轄下においた内務省廃止のあと、次に廃止される可能性があったのは、「皇国教育」の担当だった文部省なのです。
米国には連邦政府に「文部省」がないことも、この可能性を増幅しました。
そこで、焦った文部省は、戦時中「15年戦争」に一貫して批判的だった法学者の田中耕太郎を大臣に迎えた上で、有名な「戦力放棄」の絵柄がついた教科書を中学校に配り、「平和国家」建設のアクターとしての役割を強調。
同時に、続いて美濃部達吉、津田左右吉を公職追放した(早稲田は「自主的に」津田を解雇)、一連の「国体明徴」事件(当時文部大臣は鳩山一郎)を反省する振りをするために「学問の自由」を強調。
「学問の自由」を尊重する振りをするために、作られた(実際の設計は犬丸という30代の課長と法社会学の川島武宜)のが、日本学術会議なのです。
ですから、今回の任命拒否事件は、直接的には安倍政権と「安保法制」ですけれども、日本の統治層にとっては、広く見れば「戦後レジーム」の生産でもあるのです。
事実、政府は「任命拒否」を撤回するどころか、学術会議の組織改編を今国会で予定しています。
いわば、21世紀の「国体明徴事件」になりつつある、とも言えるのではないでしょうか?
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