さて、首都圏高学歴層の「右傾化」と書きましたが、彼らの多数派は、たとえば三浦瑠璃や成田悠輔のような確信犯の「極右」ではありません。
ただし、エリートとして「陽の当たる場所」を歩いてきたキャリアから、政治的に少数派になることを身体的に拒否してしまう。
特に人文系の人達の多くはそうです。彼らは決して日本会議的な極右を好んではいません。
しかし、言葉としての「左翼」(実態や歴史については何も知ら
ない)は身体が拒否してしまう。
それを「集団同調圧力に敏感」とパラフレーズすれば、特に一般人と違いはない。
私個人の経験では、首都圏の国立・私立の東大進学人文系の
人たちは学部の時が最も「まとも」場合によっては「左翼の振り」もできます。
ただ、大学院修士・博士、そして研究職とキャリアを重ねていくにつれて「保守化」します。
このパターン、近代日本の高学歴者のライフ・サイクルと同じとい面はあります。
ただし、1980年代以降の現在に至るまでの知識人エリートの特徴は、趣味判断と結びついた「美学的」冷笑主義者、というところでしょうか?
単純な例として私が個人的に知っている例を挙げます。(勿論、個人名は伏せます)
私の専門は人文系と社会科学系の接点にあたります。