鶴見俊輔-「論理-実証主義」の脱構築(上)
2000年に出版された鶴見俊輔をホストとした加藤周一との対談は、まさに戦後思想の「末弟」たちの21世紀への「遺言」とも言えます。
扱われているテーマは、「進歩主義」の瓦解、世界戦争、ファシズム、帝国主義と植民地主義、科学・技術、南北問題、現代芸術と科学、フェニミズム、など多岐にわたる。
加藤周一さんについてはまたいずれ詳しく書く予定ですが、今日は少し鶴見俊輔さんについて、若干私の見方を述べたい、と思います。
まず、私の「戦後思想家」の定義は、「ファシズム」に対して、態度決定を迫られる年齢に達していたこと、日本で言えば1937年の日中戦争の際に「青年」として批判的に判断できたこと、ということになります。
37年以降には「ファシズム」や「中国侵略」を批判する言説そのものが完全に日本社会から消えますので、それ以降の「世代」は、まったくの例外を除いて1945年の敗戦以降、はじめて「ファシズム」が「悪」であったこと、「南京大虐殺」という事件があったことなどを知らされることになります。
(ヨーロッパでも1939年までは「ファシズム」は「ネガティヴ」なものではありませんでした。中道右派より右にとっては少なくとも「共産主義」より「まし」)