価値観の多様性みたいなものは、物理的あるいは概念的な「空間の広さ」に制約を受けると思っていて、閉鎖的な空間ではどうしても画一的な尺度でジャッジされてしまうような気がする。学校でのいじめとか、受賞第一な部活での息苦しさとか。
一方で空間が狭いことは絶対悪でなくて、何か明確な目的がある場合は敢えて空間を狭くする戦略も妥当なのだろうなあとか考える。
個人としては、特定の空間との粘着力みたいなものを意識して、いざとなったらみょーんって伸ばして距離を取れるような状態になっておくといいんだろうなあ。
わーすげー抽象的ー。
@yomogii
褒められると伸びます
みょーんみょーん