人体の破壊へのあいまいな言及
西洋美術館の内覧会の抗議アクションに対する意見のうち、①ダイインのようなアクションはかえって死のリアリティから遠ざかってしまう。②(これは沢山ある)全てがアートの中に回収され消費されるゆえに行為の価値は下がる。少し前に提起されていた、③ガザから発信される暴力が行使された人体の凄惨な画像の拡散の是非。①②③を合わせて10年ほど前の「なぜ今日では破壊された人体の画像を見ることは重要なのですか?」テキストを機械翻訳で楽してぼんやり読む過去へのずり下がりを起こしています。
何年かぶりにテキストと共に実践された作品をそろそろとのぞき見て、当然めちゃくちゃ怯むのでうわっとかぐわっとかなりつつ、この作品化された一連の凄惨な画像は、フェティッシュでもなくエログロなどのサブカルチャーの装いもなくまたそこに写っているものの聖性もないのでとても「見やすい」です…