創作論として捉えた場合には、鑑賞者が「センス」をどれくらい有しているかを見積もれるかがポイントになる気がしてて、要するに鑑賞者のニーズに応える力ということなんですが、私は意味の有無のビートよりも構造の大小のうねりで物語を作りがちで、そこはもう少し前者を意識した方がいいのかと感じた。
私はアイドルコンテンツの二次創作小説を長年書いてきたんですが、(失礼な言い方を承知で書くと)「文学クン」にはウケたけど、ウケ続けたけど、終ぞ一度もバズることはなかった。ここにヒントがある気がしていて、バズにはデカいビートが要って、文学クンには繊細なうねりが要る。このバランスですよね。
私は本来的に意味を中心に感じる感性の持ち主なので、人より少ない意味で気持ち良くなってしまう(=小説を書くときに込める意味の「ビート」が小さくても十分に大きく感じてしまう)のはあるのかもしれない。そういう意味で、意味への感性が高いがために、書くときには意味を薄味で書いてしまう、盲点だった。