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今日会った友人の文学者たちが、「全く異なる物語どうしをシームレスに繋ぐ文学手法」の話と、「解釈されることを拒否し、単なる現象として物語に組み込まれる不可思議を書きたい」という話をしているのを聞いていたんだけど、山尾悠子の『飛ぶ孔雀』は、その両方に当てはまる作品では…?

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