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あと、きょうはこいびととお出かけしたあと、役に立たない万博論を考えていた。三波春夫というアイコン、そしてテーマソングなきまま進められる2025大阪万博の空洞、普遍性のなさについて(三波春夫の「東京五輪音頭」も、市川崑の「東京オリンピック」もない2020(2021)東京オリンピックが僕にとってどこまでも空虚な祭礼だったように)

open.spotify.com/track/5eBNhfZ

小学生で地元開催された愛知万博を経験した僕にとって、万国博覧会はオリンピックや様々な国際的スポーツ大会よりも思い入れが強い。戦後、日本各地で博覧会跡地が動物園に変わっていったことも関心を深める理由につながっている(愛知万博跡地はジブリパークになってしまったが……)。大学時代に吉見俊哉先生の『万博と戦後日本』を読み、この国際イベントが楽しいだけじゃなく、内政、外政それぞれの思惑が渦巻く坩堝であることも理解している。
それだけに、大阪万博がいまこの時代においてどう再解釈され、その「夢のあとさき」が何をもたらすかについてはちょっと注目している。

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