子ども食堂にしても、大都会目線で語る人とそうでない場合とでは定義自体が異なるからね。働きながら子育てする親御さんにしたら子ども食堂を学童保育の延長的位置付けにしてたりもするし、過疎的コミュニティでは経済的事情だけでなく一人暮らしの高齢者の憩いの場になってたりもする。中には引きこもりからの社会復帰とかDVからの一時避難的ツールのひとつとかで利用する人もあるし、現実の事情としてただお金不足で食べていけてない人のみならず、会話不足、ふれあい不足、情報不足、文化的出来事不足などいろんな不足に対応しつつあるのが現在の大きな括りでの“子ども食堂”だから。今のところそういうことを行政がしっかり把握出来てるとは思えないし、多くの政治家も売名に繋がりにくいから気に留めてないのが現状。そういう意味では子ども食堂への取り組みが様々な社会問題の提起と解決へのとっかかりになり得るともいえるかなとは思う。