『レベル・リッジ』ドン・ジョンソンの存在からしてまあどうしたって想起するのがS・クレイグ・ザラー。私はザラーくらい「重くて遅い(起きること全部を入れるから)」と「人がせっせせっせと動く」が両立されているのが好きなので、寄り道こそしないけど目的がスライドする点でど真ん中ではないかなー。でもなかなか面白く見られました。
ポリス・ブルータリティを描いていながら(この問題はそれ単体で成立するものではなく…)にスライドして「銃」に象徴されるものに抗う。というのを物理的に「武器を持たない戦いで最強」主人公でやってるというの自体になんか妙な可笑しみがあるのよね。ちゃんとスマホの電源を取るとかWi-Fiの再起動で間を持たせるとか「お礼にお礼を言うね」「今は味方でよかった」とか、基本的に律儀な映画が好きなのでああいうのは嬉しい。
冒頭、ヘヴィーメタル?っていきなり戸惑うわけですが(黒人男性がロードバイクで疾走しているシーンのサウンドトラックとしてこの音が鳴ることに)戸惑うのがまず先入観なわけで。全体を通してそういう捻り方をして「そのような映画として求められるとおりにふるまう」態度から常に微妙にずらしてある。かつ(「セルピコ」の名が出てくるとおり)本質としては「熱い」アメリカ映画の伝統も踏まえている。面白いバランス。