『虎の尾を踏む男達』を見て、そんなに面白く見たわけではないのだけど(ようやくなんでもおもしろスイッチがオフにできた、いやよいことだったんだけどテンションが変になって疲れてたのでちょっとほっとした)黒澤明の映画はどうにもクィア・シネマとして読みたくなってしまうね…?の理由がやっと自分の中でつながりました。わたしの和のちょっと危険な男性美みたいなもののイメージの原点が幼少期に触れた伊藤彦造だからなのではないか。まさに安宅だったんだよ。

ん、ちょっと表現としてわかりにくいというかマズい言い方になってるので(男性美とクィアリーディングを結びつけてるようにとれる)言い直し。家にあった古い子ども向け古典の本で、安宅の筋に「主従の記号の中に名づけられない感情の何かが書いてある」をこども心に感じたのですね、その挿絵が伊藤彦造だったんですよ。で、黒澤明の映画の男の人にどうもわたしは伊藤彦造の絵と同じものを感じることが多いんですね。なので「あー!ここでそのまんまなのやってたか!」というリンクを感じた次第。とはいえ観客の感情誘導係となるエノケンのマスコット的かわゆみアピールの強さとかがあってそれだけが由来でもないわけだが

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あとこの「本人たちが歌わないが心情や状況を歌で解説する」はインド映画でみるやつだ!となった 時代ものによく合う気がするね

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