『Fair Play/フェアプレー』は男女の「反転しなさ」をかなりの粘り腰でやっていて、一方でパワーというもの自体の怖さ、人を人と思わないことによって成り立ってる業界の能力主義とはなんなのかもよく考えてあって、この着眼点自体がこれまでにあまりなかったものだと思うので面白かった。演出も何がやりたいのかわからないとこが一瞬もないタイトさでよい。
リアルに事例が少なかったということもあるんだろうけど、ここ数年の流れを踏まえてその先の景色を見せてもらったな…家族との噛み合わなさもヤバかった…
男のしょうもな!なとこをこれでもかと描くだけならつまらなくて、そこに女側の「わかってくれるだろ」の甘えを持ち込んだのがビターでよい。いや、ヒロイン(とあえて呼ぼう)は「パーティでいちばんの美女」であることにも、今の仕事レベルにも別に抵抗はなかった女なんだよな。ところが野心に気づいてパワーが拡大すれば止まらないのは当然で、これを逃したら次がないから男以上に男らしく振る舞う過剰適応を馬鹿正直に家に持ち込む、感情的な男を職場であれほど見てても男が感情的になることを想定してない言動を繰り返すわけで、あれもし男ふたりか女ふたりのカップルだったら遠慮も出てたんじゃないかなー。わかりあえない前提でいこうぜー