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『テオレマ』見たんだけど、わからなかった!いやわかるような気はするのだが。『召使』とか前にJAIHOで鑑賞した韓国映画の『花粉』とかイランの『Chess of the Wind』とかなんかそういう「外側からブルジョアのもとに人間の形をした何かが来て、非異性愛的な関係を結びつつ、気づけば逆転、あるいは取り返しのつかない変容が発生する」という連鎖的に生まれた感のある映画群の代表格のひとつだと思うんだけど、他なのに比べて「何か」が中盤であっさり通り過ぎるからなのか、どうもイメージの奔流に身を任せきれず。わかろうとしてしまってよくないなーと思いつつ。

キリスト教的なイメージ(ざっくり理解なのであってるかわからん)?この時期のイタリア映画の「感じ」に苦手意識あるがゆえの入れなさ?(私はヴィスコンティもベルトルッチもまだ1本もわかった感ないんよ)観念的なことを喋り倒すから?うむむ?

にしても視線の位置が独特だったな…キャラクターが対峙している相手ではなくこっちを見ているようで、しかしスクリーンの向こうなんぞ当然見ていない、邸宅の5人は見えてるものを見ていない顔(訪問者のテレンス・スタンプだけが相手のある視線を動かす)。あの顔と、あと色のかっこよさ(かっこいいのよー)は忘れがたい感じです

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