先日、兄が働く地域に立ち寄る機会があったので地元の焼肉行ったのち場末のスナックで一杯してきたのだけど。
私が長生炭鉱の話を振ったら知らなかったのでつい先日の探索などもかいつまんで話したところ、
「正直よ、そういうの知るのもしんどくなってくるよな」
と。

ただそこで、あまりの苦痛のためにあえて耳を塞ぎ目を閉ざし口を閉ざすのか。
それとも”知らなくていい”特権をもってスルーするのか。
知らなくていい特権を行使せず認知はしたがスルーするか。
それとも幾ばくかの痛みを知り人にも伝えることで自分の受けた痛みを緩和させようとするのか。
それともそういう愚かな過ちを繰り返さないために継承しようと試みてゆくのか。

インプットの程度も違えば、アウトプットの程度も十人十色なわけで。
さらには受け取る側の属性も影響するわけで。
同じものである必要もないのだけれど。

正直なところ、直視するのも辛いので曖昧な知識のまま放置してしまっていたイシューが多かったのだよな、と、今になって思う。
思えば在特会騒ぎ以前は、私も朝鮮籍や特別永住者、平和条約国籍離脱者などの問題すら曖昧であったようにも思う。
とはいえ当事者なので、当たり前に日本のマジョリティの解像度よりは高くはあったけれど。

なにが言いたいのかというと、いわゆる”在日”コリアン問題は日本の問題であり、日本のマジョリティの問題であり、それが国連から何度も勧告を受けている問題なのだ。
が、この””在日”コリアン問題”が日本のコリアンに押し付けられ、クソレイシストに対抗するための知識を蓄えなければならないためにそれについての知識を蓄えざるを得ない、というこの事象そのものが日本の差別の副産物みたいなものなのではないか。

日本の同化政策により己がコリアンだと知らずに育った人々という現象のコインの裏側みたいなもんなのではないか、と。

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知らずのまま過ごせていたのならば一定のキーワードに触れた際に無知でいれた、苦痛を感じずに済んだものを、わざわざ苦痛を感じるようになってしまった、というのは、呪いのようなものでもあるわけで。

抑圧者側のロジックで人を踏みにかかるアホに指摘したら「酷いこと言われた」とか被害者プレイかます態度こそ醜悪なものはない。
そんなことしてるヒマがあるなら己の無知を恥じて学んでくれ。

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