先日、兄が働く地域に立ち寄る機会があったので地元の焼肉行ったのち場末のスナックで一杯してきたのだけど。
私が長生炭鉱の話を振ったら知らなかったのでつい先日の探索などもかいつまんで話したところ、
「正直よ、そういうの知るのもしんどくなってくるよな」
と。
正直なところ、直視するのも辛いので曖昧な知識のまま放置してしまっていたイシューが多かったのだよな、と、今になって思う。
思えば在特会騒ぎ以前は、私も朝鮮籍や特別永住者、平和条約国籍離脱者などの問題すら曖昧であったようにも思う。
とはいえ当事者なので、当たり前に日本のマジョリティの解像度よりは高くはあったけれど。
なにが言いたいのかというと、いわゆる”在日”コリアン問題は日本の問題であり、日本のマジョリティの問題であり、それが国連から何度も勧告を受けている問題なのだ。
が、この””在日”コリアン問題”が日本のコリアンに押し付けられ、クソレイシストに対抗するための知識を蓄えなければならないためにそれについての知識を蓄えざるを得ない、というこの事象そのものが日本の差別の副産物みたいなものなのではないか。
日本の同化政策により己がコリアンだと知らずに育った人々という現象のコインの裏側みたいなもんなのではないか、と。
そうなのよ。