トニージャーの出世作で村の守りである仏像が盗まれたので取り返しにいく映画を思い出した。

大前提として、仏教と呼ばれるビリーフシステムと言えどもかなりバリエーションが増えてしまってるので”これが仏教的”という定義がかなり難しいので、さてどこからはじめようか、という感じになってしまうんですが。

テーラワーダ圏でもトニージャーの映画のように仏像=守り神みたいな土俗信仰してる人々もいるのでなんともアレですが、本来仏像って、仏法を再発見したお釈迦さんがいた事がイメージしやすくするためのただのモノなので、仏像自体には何の意味もない、とまでは言わないけど、たいそうな価値はないわけです。
本来は。

なので、まあ、仏像という調度品の所有権を巡って裁判してたんなら、まあ、現行法がとりうるロジックに沿って所有権があると認めた方に明け渡す、というのが法治国家の市民として当然の行いではあるわけですよね。

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仏法を実践してるものならば、己の貪瞋痴と向き合い無貪無瞋無痴を実践してゆくことに意義があるわけですから、なんつの、あげたもん勝ちみたいなのがあるわけで。

お釈迦さんからしてみればお前ら何やっとんねん、という話でしかないわけですな。

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