なんつーか、日ごろからすべての差別に反対します、みたいな標語をdisってる私が言うのもアレですが。
自分の属性に対する差別に対し真摯に向き合えば構造的差別というものを知り、自ずと自分の属性以外への差別にも気付き連帯をせざるを得ないものなんではないかしら、と。
だからなんというか、自らが受けている差別に対し抗おうとするのならば自ずとそうなってしまう副次的なものなのでは、と。
なのにその副産物を主たる目標とすること自体が本末転倒といいますかね。
だからまあ蓮舫氏に対する一連のネットリンチというか憂さ晴らしを指摘する際に、女性差別はもちろんあるのだけれど、それだけをピックアップして論じる事の政治性といいますか、なんか言語化能力が疲弊してきたのでそろそろ休みますが、そんなことを思ったよ。