イスラエル関連の常軌を逸している行動を見て「これ以上の悪行はないだろう」と毎回思うのだけれど、次の日にはそれを軽々と超えて新しいレベルに入ってくる。我々もこれに慣れてしまいパレスチナの人々の被害を軽く見がちになるので、気を付けてゆきたい。みたいなことを誰かがいってたのですが。
ドローンを瓦礫の上に下ろして赤ん坊の鳴き声をスピーカーから流し、救助が必要だと思って出てきた人を射殺する、とかもう悪すぎて流石にそれはないだろう、と思ったら本当にやってたとかもうホント絶望したくなる。
前から思っていたことだkれど、humanity、人間性とは言うけれど、人間は良いことももちろんするけれど悪い行為もリミットがないわけで、humanityという言葉すらどうなんだろうと思ってしまう。
パレスチナの人々を思えば安全圏でヌクヌクやってる私なんかが絶望とか言うのもラグジュアリーなわけですが。
しかしまあhumanityとかいえば幼稚園のころ、朝鮮学校の制服を着ていない時は普通の子供として接してきた大人達が制服を着た途端、薄い板氷的な何かが間に挟まったような人間関係を感じていて。楳図かずおのヘビ人間が変身するような感覚とオーバーラップしたのをなんだか急に思い出したなあと。はからずもゴム人間とか言ってる陰謀論者の思考の片鱗を理解してしまった。
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前から思っていたことだkれど、humanity、人間性とは言うけれど、人間は良いことももちろんするけれど悪い行為もリミットがないわけで、humanityという言葉すらどうなんだろうと思ってしまう。