知らない、というのはそれだけで差別構造に加担してるんだなあ、と思ったのでメモ。
最近初めて会う方々に「ボクさんと仰るんですか。パクさんじゃないんですか」という素朴な疑問を投げかけられることが多くて。
100%善意なのは理解してるんですが、背景にあるものを説明しなければならず、その重さを考えるとこちらもしんどくなり「さあ、なんでなんでしょうねえ」と返す事が多いのですが。
名前を奪ったのは日本政府であり、加担してるのは日本人なんですよ。
自分で調べて、自分で学んでくれ。
自分とこの歴史くらい、ちゃんと知ってくれ。
自分の怠惰を棚に上げて俺に仕事させないでくれ。
というのが、オブラートに包まない本心ですかね。
理解してるんですよ、教育で習ってないとかね。
私のことを理解したいためにしている質問なのだ、とかね。
理解はしてるから本心は言いませんが。
とはいえ、善意とは言いつつこちらが消耗するのは間違いないので。
回り回って、差別構造に加担してるのだなと。
私ができる事としては、他のジャンルのマイノリティの方々に同じように無教養な質問をしない、ということですが、得てして質問をしないと永遠にわからないままだったりするので、まあ、難しいなsと。
いちばん分かりやすい例としては、「なぜナチスはホロコーストを作ったのか」をユダヤ人に聞くドイツ人、かなと。
私も言われて真剣に悩んでみたけれど、何件も同じ事例に出くわしていると、「そもそもそれ俺に聞くか?」という思いがムクムクしてきたので排泄しました。
ずっとモヤモヤしてた自分の思いの言語化もできたので。
相互フォローしている方にも同じような質問を頂いており、その方への個人的な恨みというかそういうものはなく、あくまで総体としての私の感情を吐き出したまでですので、個人的な悪感情を持っているわけではない事を付け加えさせてください。