昨日は映画”国選弁護人 ユン・ジンウォン”をみましたよ。
英語タイトルは”The Unfair”、原題は”소수의견”、少数意見、というところでしょうか。

内容としては政府の不祥事をスピンしてもみ消して、被告の弁護を三流の国選弁護人に任せて予定調和で終わらせるはずが、反骨精神ある弁護士が担当する事により政府の関与が明らかになり、様々な妨害の末に判決は,,,みたいな、お決まりっちゃあお決まりのもの。

改めて思うのは、韓国にだって利権に群がり、上に従順な犬のような人間がいくらでもいるということ。
しかし決定的に違うのは、ノムヒョンやムンジェインのような人権派の弁護士や市民活動家が投獄されたりしつつも、そういう人々を大統領にさせることができる市民の下支えみたいなものなのかなと。

ウィルスミスが「差別主義者はみんな頭が悪い」みたいな事を言ってたそうですが、完全に同意はできないまでも、まあそうだな、と思うところはあり。

なんというか、信念をもって反差別やってる人は多いでしょうけど。
保守イコール差別主義者、ではないのですが、雑なカテゴリ分けながら、保守派って大概が差別主義者が多くて。

ちょっと自分の中で混同してるなかで雑に書いちゃいますけど。
信念をもって差別してる人がいたとしても、その信念て凄い恣意的なんですよね。
だから鮫島伝次郎みたいな、戦時中はお上の言いなりになり、戦後は市民の為に、みたいな事を恥ずかしげもなく言えちゃう人がおおいんではと。

本来の意味とは乖離してるでしょうけど、いわゆる保守な人というのは、上が言えば自分の意見は二の次三の次で従えちゃう人々なのかなと。

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すごい雑にまとめると、差別するのって楽なんでしょうね。
自分が属するマジョリティ属性、男であれば男、日本で日本人であれば日本人、あるいは健常者、ベビーカーをひいていない、とか、そういう属性だけで”そうでない人々”の足や顔を平気で踏ん付けることができれば。

でさらに面倒なのが、自分がマイノリティの立場なら敏感な差別も、自分がマジョリティな面では恐ろしく鈍感になること。
在日コリアン男性でミソジニストというのは残念ながら掃いて捨てるほどいますし。
フェミニストでレイシスト、という人も多数観測され。

だからすべての差別に反対する、というのは、前も書いたと思いまうすが、理想であり理念ではあると思うのですが、現実問題として、なんつーか、ぶっちゃけ無理なんじゃないかと。

たとえば私はエスニックマイノリティですがシス男性でいちおう健常者なので、ぶっちゃけるとフェミニズム問題や障碍者差別にはアンテナの感度がゆるいのです。
意図的に上げたところでなんか違う感が自分でもするし。

だから、自分のマイノリティ性を鑑みたとき、マジョリティから受けるマイクロアグレッションなどを、自分がマジョリティな分野に当てはめてみて「これはこうなんじゃないかな」と解釈し続ける努力をする、という事しかできないんじゃないかなと。

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