「ネトウヨ」というものを考えるとき、それは固定された個人ではなく個々人の特性のグラデーションみたいなものなのじゃないかと思っています。
aさんはネトウヨ度10%、bさんは70%、というように。

しかもその度合いは個々人によっても日によって違うのでは、と。
サッカー好きのaさん、国際試合がない時期はネトウヨ度10%だけどワールドカップの今は60%まであがってきた、とか。

ハナダ極右の雑誌に触れればネトウヨ度もあがるし。
定期購読すれば常にネトウヨ養分をキメてるわけですから。

さらには年をとると保守的になりやすいので、プログレッシブ的な考えだったはずの人も右寄りになりがちですし。

根本的に、日本の文化そのものがハラスメントを温存しやすいし、都合の悪いことには目を背けておこう、となりがちなので本質的にネトウヨ気質があるんじゃないかなあ、と。

結論としては、日本という土壌がネトウヨ的なものを輩出しやすいものであり、プログレッシブ的なものが運良く生き残っても土壌が土壌なのでどんどんネトウヨ度が積み重なり、気が付けばみんなネトウヨになってたりするんじゃないかと。

まあグラデーション的なと言いつつネトウヨとプログレッシブの二元論で語っているのもアレですが。

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このように、我々というのは条件によって成り立っている現象に過ぎない、という観点はお釈迦様の教えにも沿うものであり。
仏教ではこれを縁起とか因縁とかいうのですが。

これを逆説的にとらえると、ネトウヨ的な人も条件さえ変わればネトウヨ的なものから開放されるかもしれない、というのはあるのですね。

ただまあ、これも仏教的にいうと、我々の習慣というのもまた強力な傾向性をもたらすものであり。
ハナダとかセイロンとか読んでツイッター街宣でヘイトスピーチしまくってれば、そういうものになる傾向性を強化しまくっているわけであり、そういう振り切っちゃってる人々が改心するかというと、まあ難しいだろうなあ、というところではあります。

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