たぶん私のトゥートを読む人は現状では0人に近いと思う。だからこの際、ツイッターでは言いにくい事を言ってしまおうと思う。
私は4年余りツイッターをやってきて一度だけバズった事がある。今のフォロワーの大半はその時フォローしてくれた人達だ。どんなツイートをしたのかというと、山本太郎を誉めるツイートだった。
山本がれいわ新選組を立ち上げた当時、小倉駅前での演説の動画をYouTubeで見て、その危機感と激情に満ちた演説にいたく感じ入った私は「山本に期待する持たざる人々がこれほど多くいるのか」という内容のツイートをした。途端に何千ものいいねとRTをもらってビビりまくった。当時の山本太郎人気は凄まじいものだった。
その後、山本に言及すると色々面倒臭いことになりそうなのであまり触れないようにしていたが、私の山本への評価は当時からあまり変わっていない。私にとっては山本の言動はどれを取っても理解できるもので、概ね好感を持って受け取っていた。世評のかんばしくない沖縄の市議のマルチ商法への関与の件についても、高井崇志を党に迎え入れている事から見ても、一度のしくじりで切り捨てることはせず再チャレンジの機会を与えたかったのだろうと、支持はしないが理解はできた。(続く)
一夜明けて、誰かから怒り狂った返信が来ているのではないかと恐る恐る見たが、幸い何も来ていない。なので調子に乗って続きを書く事にする。
一体リベラル派は山本の何があんなに憎いのだろうか。
経済政策の相違?しかしあの憎悪の激しさは見解の相違だけで説明できるものではないだろう。
山本の経歴・学歴への差別意識?確かに、中卒のタレント崩れのくせにと直截的な差別発言をする者もいる。日頃綺麗事を盛んに口にする連中の汚い本音を暴露するリトマス試験紙的な役割も山本は果たしていると思う。
しかし、もっと踏み込んで言えば、山本が大衆を説得し味方につけようとする、その姿勢が最も連中の逆鱗に触れるポイントなのではないか?有り体に言えば、大衆蔑視だ。
連中は、闇を抱えた大衆と対話を試みようという意志を全く持っていない。ああ何と愚かな連中なのかとひたすら嘆き蔑む対象が大衆なのだ。大衆を仲間に引き入れようとする政治家の存在など連中からすれば自分のテリトリーを犯す存在で、恐怖でしかない。「お前らみたいな馬鹿は仲間になんか入れてやらない。自民や維新でも支持してろ」というのが連中の本音だ。それでは政権交代など永遠に実現しないように思えるが、連中にとってそんな事はどうでもいい事なのだろう。(続く)
長々と書き綴ってきたが、まとめると、私は山本太郎とれいわ新選組について一貫して好意的に見ている。が、支持しているとまでは言わない。過度な期待をかけすぎると裏切られた時の失望が深くなる(立憲民主党がそうだったように。)どんな政治家や政党であっても常に懐疑の精神で見ておいた方が良い。また、闇(差別意識や陰謀論)を抱えたれいわ支持者と、その闇に目をつぶって仲良くすることは私にはできそうもない。そういう意味では私も大衆に交わりきれない人間なのだ。
ただ一方で、れいわや山本に悪罵や嘲笑を持ってしか言及しない、大衆蔑視で凝り固まったインテリリベラルにも私は一切共感することはない。彼らが嘆き、嗤い、蔑んでいる対象の側に私は立ちたいと思う。
それにしても、大衆的になりきれないし高踏的で嫌味なインテリ気質にもなりきれない、私は中途半端で損な性分だなーと我ながら思う。まあ仕方ないと思って諦めるしかないか。