スポーツととある身体の優位性の話に絡めて、スポーツを免罪するような投稿を見かけたので
スポーツには参加者及び観戦者が楽しむ為に、不公平を最小化する試みとしてレギュレーションを採用して更新していっている歴史があることは知ってる。
それでも勝利したスポーツ選手を称賛する際に、その選手の有利な身体性について言及することは当然にあるし、
場合によってはその有利な身体性の根源を血統に求めて、"サラブレッド"と表現したりしているケースはゴロゴロあって、
そうした事象は緩やかな優生思想の発露だし、
そういう事象をスポーツとは関係ありませんとは流石に言えないんじゃないかな。
スポーツ選手たち、そして選手になれなかった者たちの創意工夫・努力・パフォーマンスは素晴らしい。
一方で、
オリンピックは社会の歪みを増長し、もはや作り出しているものなので、私は観戦をボイコットしているし、変革できないのなら無くなればいいと思っている。
オリンピックに利用され続けるスポーツは変わるべきだとも思っている。
オリンピックがなくなったところで、それこそスポーツはオリンピックだけではないのだし。
私はスポーツが不正義に利用されないように変わる事を強く求めている。