オリンピックは、「現代までのスポーツは優生思想を奨励し、ミソジニー及びジェンダー規範、男女二元論を強化するものとして形作られている」という事を証明する祭典になってるよね。
今回のパリ五輪ではヒジャブの着用も認められてないし、ここのところの五輪で毎回指摘されている路上生活者の追い出し(今回は学生寮の学生も追い出されたとか)、労働環境の劣悪さも引き続いているという情報もある。
日本語圏での選手・審判への誹謗中傷も酷い。
オリンピックは無くしてしまえ。

それに加えて、男女二元論を神話と呼ぶのをやめろ。

オリンピック観戦をボイコットしてるもので勘違いしていたのだけど、
フランスが自国代表選手のヒジャブ着用を禁止していて、IOCもそれを消極的に擁護している状況らしいですね。

スポーツととある身体の優位性の話に絡めて、スポーツを免罪するような投稿を見かけたので

スポーツには参加者及び観戦者が楽しむ為に、不公平を最小化する試みとしてレギュレーションを採用して更新していっている歴史があることは知ってる。

それでも勝利したスポーツ選手を称賛する際に、その選手の有利な身体性について言及することは当然にあるし、
場合によってはその有利な身体性の根源を血統に求めて、"サラブレッド"と表現したりしているケースはゴロゴロあって、
そうした事象は緩やかな優生思想の発露だし、
そういう事象をスポーツとは関係ありませんとは流石に言えないんじゃないかな。

そもそもスポーツのレギュレーションは、"列強"がスポーツを平和で国際的なコミュニケーションの一手段としつつも、"後進国"の選手がその大会で不利になるようにレギュレーションを設定・改変していたという事例もあるほど、恣意的に利用されていた仕組みでもある。

もちろんそうした反省を踏まえて、スポーツに関わる方たちは日々、改善の努力をされているけれど、まだまだその途上でしょう。

スポーツと、社会にある問題や政治を切り離す事はできない。

スポーツをする者が創意工夫・努力で、そうした壁を乗り越えようとする事、それを他者が応援・尊重・称賛することと、
スポーツが社会の歪みを増長する事に利用される事を防ぐ努力をする事こそ分けて考えるべきではないかな。

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スポーツ選手たち、そして選手になれなかった者たちの創意工夫・努力・パフォーマンスは素晴らしい。

一方で、
オリンピックは社会の歪みを増長し、もはや作り出しているものなので、私は観戦をボイコットしているし、変革できないのなら無くなればいいと思っている。
オリンピックに利用され続けるスポーツは変わるべきだとも思っている。

オリンピックがなくなったところで、それこそスポーツはオリンピックだけではないのだし。

私はスポーツが不正義に利用されないように変わる事を強く求めている。

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