この箇所なるほどなあとなった。川村覚文の本の第5章における見田宗介をジョディ・ディーンへ合流させる議論ともつながる。
この理屈だと、ブーレーズやシュトックハウゼンを押し出すのは「アメリカ勢に負けないぞぅ」の対抗性ゆえだとなるし、そうした欧州系紹介言説も日本社会に対する(主に米ソが担った)「大文字の他者」ポジションの争奪戦に見える。そしてその派生で、どの国をアバターにすれば偉くになれるかを日本国内で論者たちは遂行する。
となると、ここで「いやルイージ・ノーノですよ」の差異化ちら見せは、政治性意識してますプレイになるわけだな