大した論文ではなかったが、プロパガンダをめぐる古典的な主要文献の目録として一読するといいようなものだった。けっこう邦訳も多いとわかる。
「「プロパガンダ論」再考」(2023)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kohokenkyu/27/0/27_4/_article/-char/ja/
私が現在考えたいのは「草の根型の自生的秩序によるプロパガンダ/扇動・宣伝」の方なのだが…と思いつつも、国家による監視と工作の局面としてグレーバーの記事を面白く読んだ。
この記事で出てくる友達の「活動家・映像作家」は、前世紀末までの日本に評価基準が整備されてないエリアだ。
浅田的にいうなら、「美的でポストモダンな達成か、泥臭いアクティビズム」の二分法が強烈に君臨していた。現在の論壇ジャーナリズムは単にジャーナリズムイシュー優先化にすぎないので、美的かつ政治的なクライテリアを整備する必要があるんだろう。まだ大したところまで行ってないと思う。
浅田のロジックを今振り返るなら「浅田の図式もうだめだろ」が原則かなと。