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現在では、80-90年代文化で語れた言説や対立軸はあまりに階級の問いが霧散しているように感じられる。たとえばヒップホップひとつとってもかつては出自や階級の問いが希薄だったが、いまでは前景化しており、階級闘争・階級格差の言葉はひしめいている。そういった座標軸の変動があるのだが、むしろ70年代以降の半世紀は当時の言説をそのままたどるのではなく、ロウブラウ・ミドルブラウ・ハイブラウの射程で位置付け直して整理した方が、見通しが良くなると考えられる。

昨日は、その再読の切り口にラッセンもありうることに気づき、増補版の『ラッセンとは何だったのか』を読んでいた。しばらく前にドミューンでやっていたラッセン論集増補版刊行記念イベントでは、ヒロヤマガタとラッセンが当時の西武の脱大衆路線とどういう距離感だったのかについて中ザワヒデキが話してて、その機微が示唆に富んでいた。

中ザワがもともとバカCGの「イラスト」側から出てきたこともあり、「イラスト」がかつてアートから排除された場所だったこと、ヘタウマ路線がアート化だったこと、逆に非アートがハイパーリアリズムイラストだったこと、などを手際よくまとめていたのも印象的だった。「イラスト」も「アート」も「デザイン」も70−80年代ごろに浸透した言葉なんですよ、かつてイラストとペインティングの対比がポストモダンとモダニズムの対と重なってたんですよ、云々。

中ザワはラッセンをヒロヤマガタ受容の延長で捉え、80年代におけるヒロヤマガタ受容を焦点に据えた方がイラストとアートの間の摩擦と対立がもっと表面化するのではないかと提起しているのだが、当時のヒロヤマガタが人気を博したイラスト文化では、他に山口はるみ、鈴木英人、永井博などが活躍していて、永井博といえばこれらのイラストゆえに音楽のジャケビジュアルとしても知られてる。

ラッセン論集は「いまの階級格差からどう考えるのか」が隠しイシューで、しかしそれに勘付いてる人が寄稿者の中でも少ない、と思われる

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