「やっぱりエッセイ漫画ってプロパガンダ手法てんこ盛りなんだなあ」と、自己紹介になってしまっているケースだなこりゃ。
部分的にドラマ実写化の情勢に関して正確なところもあるんだろうけど、話法がプロパガンダ。
「いたっけ?」
「いないよな」
「いるならむしろ名指しで言ってくれた方がいいんじゃね」
「20世紀の物理学者が、『カントはユークリッド幾何とニュートン力学を基礎にしているから無効』と潰すときに使われた手だから、吹聴してたのはむしろ理系では?」となった。
また、関連して、文明論やSFに使われるガジェット的科学言説ってずっとあって、『リング』や『ナイトヘッド』だとウィルス進化説の流行が背景になってて、エヴァだって「カオス理論で人類補完計画ぅ」などといかにやりそうな系統だった。90年代における最もポピュラーなカオス理論家の表象は『ジュラシックパーク』のちょっといかれた科学者だろう。
技術的特異点の言説が10年代に流行るけど、これもSF的文明論言説。SFこそがこの手の物語想像力のポピュラーな拠点だから、理系の連中の現代思想藁人形論法は「SF界隈と揉めないように、敵イメージのラベルだけ『現代思想系』なる屏風の虎にすり替える」技を使って生まれるんだと思う。右派文明論とSFの文明論風言説こそが「ポピュラー右派エンタメにとっての大きな物語」相当物なのではないか?という疑念もある。
日本の現代思想は科学と文明論に交差するほどアメリカ的ではなかった。むしろアメリカ的だった方が良かったと思う。アメリカ的言説が入ってたら、あれもこれも混ざっていたのでは?と思うことは少なくない。
「日本の現代思想論壇って、複雑系とかカオス理論で一山売れた流れもなくない?」
「いや、初期浅田彰が絡んでる」
「いや~、それ85~89年ぐらいのごく限定された期間でしょ。すぐに消えた文脈だし、そのことを執念深く覚えてる連中が大量にいるとも思えん…」
「あとベイトソンもわりと複雑系近辺だったよ」
「それもどうかなあ。ベイトソンを現代思想プレイヤーだと認知する人間はほぼ滅んでると思うわ。特定世代にはある認識だが…。私が本を読み出す頃には、吉永良正は「ニューエイジの手先」みたいに左派論壇で鼻で笑われてたんだよね。「サイエンスライターが変な文を書いてた」ならわかるんだよな。いかにもいそうだし。でもそれを「現代思想」系と呼ぶのはけっこう無理があるし、誰?ってなる」
などと話した。