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違国日記の漫画/映画の検討は、ユリイカの山戸結希号が参考になるかも、映画の受容論としては河野真理江、正統派のアダプテーション論としては日高利泰がある、と指摘されたので読んでるが、「ずっと同じ構図が反復されてるんか?」という気分になるな…。

『ホットギミック』原作もベツコミ。芦原妃名子の00年代仕事(『砂時計』〜『Piece』)とも重なる

日高記事読んだ。原作が「ベツコミの漫画」なのがポイントで、ベツコミ漫画だと性関係が強く、願望充足的なキャラがとにかく配置されるというなかでの成功作なんだろう。読者の階級も下層が多いはずで、「漫画読み」が視界から外しがちなエリア。日高は少女マンガ一般に問題を還元しているが、むしろ階級に対応する位階秩序を語るべきかと思う(違国日記を想定すると、ベツコミとFEEL YOUNGは並べられないだろうなと思った)。

日高は漫画の技法と映画の技法をそれぞれ詰めていないが、これは「感情の機微」をめぐる技法を詰めると違いがあらわになるからプロットと配役解釈の方に重点を置いて説得する戦略かもしれないし、ベツコミ読者層には日高の説明の方が響くという狙いがありうる。

日高は、映画だけ見た人や、原作ファンが映画に戸惑うのを緩和するクッションを兼ねたミッションを担ったのだろう。ロウブラウエリアでの達成としての原作と、ミドルブラウ近辺の映画の射程とのズレがあり(そこでテレビドラマによる実写化と差異化を図る)、映画版はベツコミ階層ではないところに届いたが重要になりそう。

日高論考の中身を記述するのを忘れてた。

無理のない範囲で拾うと、こんな感じ。

女性向けの願望充足系を含む性関係〜ソフトポルノの作品は、教員やフェミニストプレイヤーが語らないのだが、単にそれは中産階級がより下層の文化を視野から外しているだけで、オタク批評陣営や批評学生(男)がアウトロー&ヤンキーコンテンツを論じない/語る術を開発しない、のと相似的。

たぶん大学進学層でジェンダー/セクシュアリティへの意識がある女性だと、00年代のベツコミの方面(10−20年代だとまた移動しているかも?)を読まずに、アロマンティックを自認、しかし単にジャンプ読んでるだけ、みたいな実態が目につくが、高卒層だと性愛系ソフトポルノ路線に親しんでいる人はまだいるんだろうな。

しかしそこからプレイヤーが生まれないので言説的には不可視のまま消え去る。

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