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最近は、黒沢清もそうだけど、脚本をあまり詰めない力について考えていた。
蓮實が73年の世代と呼んだ作家群(ジャームッシュ、ヴェンダース、エリセ、ベルトルッチ、アンゲロプロスなど)は、脚本に余白を作ることでインプロヴィゼーションの余地を作るタイプの作家だったなと。

これは現在の評価基準からは「脚本軽視を招いた。脚本を作り込むことも整備しないと」という反省を生む。

だが、実際には、余白を作ることで作品を動かすスキルを持つ作家には、重要な手際でもある(マンガで言うと、役割の最終的な帰結を未決定にすることで連載途中でダイナミックな変容を遂げる作品が近い)。この「変動を考慮した結果、隙にも見える」側面はきちんと言葉にされてないように思う。

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