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黒沢清の頃にあった、ホラーや怪人、スリラーなどのジャンル映画的見世物要素が、その下の世代からはかなり抜け落ちて、文芸趣味との結合が起き、「娯楽映画要素の換骨奪胎や変容」というのが20世紀末シネフィルの仕事が減ってきてるのではないか?とか今日は人と話していた。娯楽をめぐるヨーロッパVSアメリカの図式の衰退の影響もあるし、映画祭を狙うと娯楽VS文芸の秩序を無視できなくなるのもあるんだろう。

シネフィル的観察が研ぎ澄ませた動作や行動への精度は、日常生活的ミニマリズムと相性がよく、ミクロポリティクスのせめぎ合いを捉えることもできる。だが、もっと別の政治的取り組みも見たい。

悪は存在しないの主人公は、類型的には「アラスカの森の賢者は自然知がすごいが、なぜかトランプ支持者」を連想させるので、アメリカの頭いい作家ならあの作品の全要素に政治性モチーフを盛れるかもなあと想定する。

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