まんが道が白手塚イメージを構築して自分の中心性をそらせたことが大きい。また当時の藤子Aは毛沢東伝も書いて中国の民衆プロパガンダ絵を取り込んでいたが、まんが道をなぞろうとした漫画家は、そういう要素が単に青年誌イデオロギーのプロパガンダに堕するのが定番になっている。
『ブルーピリオド』はそういう意味でちょっとマシになった状態だった。トリガーは「美大解像度を上げる」。
漫画家の私小説相当ジャンルはだいたいエッセイまんが様式で出てくるが、たまにクリエイター神話ものにするとそれが王道扱いされるバグがあり、これは「私小説=真正」のコードの産物だろう。
「現在の自分を追認」と「青年誌イデオロギー」は、stand by me描くエモンとか、花澤健吾のアイアムアヒーローみたいな自意識こねくり回してる路線にも濃厚に現れている。「俺の現在」を終着点にすると、青年誌で活躍している俺、すなわち、青年誌イマジネーションが世界の真実!というプロパガンダになりやすい。要するにエロと仕事とアウトローと家族だ〜みたいな。参照ジャンルが世界の真実にされてしまう。「俺、それで食ってるし!」を背景に。
青年誌って、そういうイデオロギー批判への素地どころか、そういうプロパガンダと私小説モードをやってれば偉いかのような歪みがある。