@wak アメリカだとプレッパー思想が強く出て「なんか異質…」とドン引きになるのも含めて、面白い差がぽこぽこ出そう
@ttt_cellule プレッパーは日本に少なそうですよね(なろうのゾンビ小説でたまに描かれるくらいかな)。あと、『ミスト』の宗教おばさんみたいな人も、国によっていたりいなかったり内実が違っていたりしそうです。
@wak ゾンビコンテンツが世界中に滅亡後イマジネーションの共通言語を整備しているというのも非常にありそう
@ttt_cellule それはありそうですね。ショッピングモールのある郊外なら、世界中にある普遍的な風景ですし、様々な国で文化を問わず作れそう。
@wak 日本のポスアポフィクションって、ゾンビ映画とゲームがイマジネーションの基盤だと思うんですけど、たぶんドラマでゾンビものから離脱させて広げる手口がそんなになさそうで。
その結果、少女終末旅行だけが頭一つ二つ抜けてて、他の埋もれがち作品(『終末ツーリング』『旅とごはんと終末世界』『世界は終わっても生きるって楽しい』など)と差が開いてる印象があります。
@wak たぶんポスアポものって、「こういう絵が描きたい」のヴィジョンが先行しがちで、実際に話を動かすと、1つ2つのエピソードを使ったら身動き取れなくなりやすいんでしょうね
@wak 他方、ゾンビものは、日常が一変して崩壊する出来事ありきで、そのパニック状態から新秩序セットまでのシチュエーション回しが主導しがちなのかも。
@ttt_cellule ポスアポまで広げると、北斗の拳とかナウシカとかも入っちゃいそうですけど、その中でも心地よい破滅ものだとそうですね。
「終わってしまった風景を、誰かと旅したい」みたいなシチュエーションありきで、そこを描いたら物語が動かなくなる。ポスアポではないだろうけれど、『キノの旅』のように出会った先の人々とのエピソード重視にするくらいしか、話を動かすのが難しい。
あとは『BLAME!』みたいに、世界観自体が謎すぎるのでそれを追っていくような作りとか。
『少女終末旅行』は、その両者のバランスが良かった気がします。
@ttt_cellule 「ゾンビものは、日常が一変して崩壊する出来事ありきで、そのパニック状態から新秩序セットまでのシチュエーション回しが主導しがち」そこは確かにそうですね。
もしかすると、ゾンビものが世界中で作られるのは、ショッピングモールのような舞台が国を問わない点以外にも、ストーリー展開もある程度は定番が出来上がっていることも大きい気がしてきました。
異世界転生ものや悪役令嬢ものが、ストーリーは途中までかなり共通点がありつつ、「どういう背景の人物が転生するのか」という点で、大喜利的にジャンル作品を賑やかにしている点と、案外近いのかもしれません。
@wak 現代的な世界崩壊後の日常ものは、飯を食う・モンスターと出会う・人と交流する、みたいなエピソードになりがちですね。
BLAME!は戦闘能力が高いのでバトルでなんとかメリハリが付くけど、多くのこの路線の現代作品はバトルを弱めると思うし、少女終末旅行はヨコハマ買い出し紀行とBLAME!の折衷に近いんでしょうね
@wak ゾンビものと異世界転生や冒頭で破滅ループ記憶フラッシュバックするやつとつなげるとき、中間にデスゲームものを置くとしっくり来ると思います。デスゲームものは、隔離空間と殺し合いのルールでパニック状態に追い込むものなので、ゾンビものとわりと並行したジャンル形成かなーと。
@wak ファイトクラブは、最初に主人公が死ぬ理由を見つけているかのような状態なのが重なりましてねー
@ttt_cellule ナレーター=タイラーは30歳だし、無職転生のルーデウスの主人公も34歳で割と年齢が近い。
リコール調査担当の会社員と長年の引きこもりという違いはあるけれど、そのくらいの年齢になると、一度自分の人生をリセットしたい欲求が出てくるのかもしれないですね。