ジャンジャックルセルクルのフランケンシュタイン論はやっぱ面白い。

直接なにかに使える・いまなおアクチュアルというよりは、かつて成立した型について考えさせられる。
たとえば「メアリー・シェリーって親は左翼だったけど反動じゃね?」といったルセルクルの疑念も、現在の英文学保守が主流となった秩序では忘れされた視点だなと考えさせられる(つまりメアリーシェリーとオースティンが掲げられる秩序に対する別の補助線になる)。

アシモフがフランケンシュタインものをこき下ろしたことでフランケンシュタイン論はロボット論になりやすいのだが、ルセルクルはむしろフランス革命ショックから20年程度という
歴史的条件への認識が武器になっている。

ロボット論としては、手塚のアトムやドラえもんを引き合いに出して西欧と日本のロボット観の違いから、日本=アニミズム、と持っていく言説がかつて山のようにあったが、これも単にフランケンシュタイン系譜における逸脱と変形で包摂可能なものを日本特殊論にずらしたものにすぎないように思える。

藤子不二雄コンビはどこまでもフランケンシュタイン論の延長で論じれるのでないか?などとも連想する。「モンスター(抑圧されたもの)が回帰する」って劇画オバQとかノスタル爺?とか。

ルセルクルがフランケンシュタインを紅はこべや二都物語と同様の英国における革命的正義への保守的コメンタリーの系譜だと言うのは面白くて、ここには現在の宝塚ファン層との並行性を見出せる。
現在の宝塚ファンはべるばらではなくスカーレット・ピンパーネル(紅はこべ)を標準的作品だとみなすのだが、ここに革命ロマンの忌避と英国保守への舵取りやオタク的保守政治が見てとれるからだ。
この数十年間のメアリーシェリーの日本における評価上昇も「フェミニズムや女性消費にはエンカレッジだが、保守に回収される」ルートとして相似的であるおそれがある。
あるいは、フランケンシュタインの怪物の方に読解を注力することで、メアリーシェリー自身には忌避された革命性の方を拡大させるミッションも継続しているんだろう。

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といっても別に池田理代子が革命左翼かというと、そんなことはないのだが。

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