この記事を再読したが、問題点は、小田原が、国家と和人の「反省する主体」のパターナリズムに魅せられている点かな。
そのため、政府と和人への同一化が議論の前提になっているし、施設も和人向けに反省を迫るべき、という論調で進む。

単純に議題決定権や施設設置決定過程にアイヌをもっと入れて、和人の・和人による・和人のための施設作りという方針以外の選択肢を増やす方がいいと思った。

文調がうねうねしているから真摯と思われがち。

bijutsutecho.com/magazine/insi

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別の断面から切り取ったらこういう視点も可能かー、とも思った。
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小田原は「美しい」「よろこびをおおいに喚起される」で展示物を還元しすぎやろという疑念も生まれる

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