昔は「小説みたいな語り方の本しか読めない(そこで、日本文芸批評です!)」ワールドがかなり強く、この層は批評理論忌避勢でもあったが、そこでもバルトとベンヤミンだけは別、という好まれ方をしてた。文人っぽいから読めるみたいな扱い。

ベンヤミンは短いのもあって読まれやすく、バルトやブランショからの断章スタイルこそが正義!みたいな美意識の人もいた。今はそういうのはわりと滅びた。

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かつての日本文芸批評は「小説みたいなものしか読めない層向けのアダプター書き手」が売れて、読者層はアダプター書き手だけを無限に読んであーだこーだ言う停滞が起きたのだが、いまはその書き手がグッと減った(千葉雅也がこの枠の現行覇者)。

今は小説愛好者向けの書き手としてエッセイ的な語り口やポピュラーフェミニズムが近い形で機能しているが、昔より政治性が強まっているし見かけ上は重なってないので、「要は日本のリテラシーでは小説の型ぐらいしかない」みたいな構造問題は不可視になっている。

いまだと、小説愛好者向けアダプター言説読む、の代わりに理論教科書読んで、理論言説読めない人がそこに無限に留まる図に入れ替わっていると思われる。

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