『レアリスム再考』の松井論文、レスタニのやっつけ方が「今っぽい政治志向」っすなあと思った。赤瀬川原平には在日朝鮮人への眼差しがありましたか?ない?なら脱政治ですね、みたいに即応用されそう。
で、このロスのロブクリエのやっつけ方に「小説が読めない人はこれだから」と腐すのが蓮實とか蓮實信者で、ここで政治性VSメディウムスペシフィシティという擬似問題が作られてしまうわけだ。この2つを交差させるアジェンダをうまく組むと突破できるんだろうな。
松井論文、ラウシェンバーグらをネオダダとまとめたり、ポロック理解をハロルドローゼンバーグ流だったりするので、アメリカ美術理解が半世紀前の語彙で、そこは学習しないの?と思うが、そういう「隙」ゆえにフォスター&ボア&クラウスなどオクトーバー第一世代派が過去にならない、ってことでもあるな。