私は少し前に台湾に行って、台湾のフェミニズム運動や反差別運動に触れたしエンパワメントされたんだけど(行く前からそこそこ親しんでいたが)、とてもじゃないが中国系日本人の私が台湾のフェミニズムやそこから生まれた台湾のエンタメを「私の/私たちの」なんて言えないと心底思ったよ。台湾で出会った人たちは私のことを「同志」って言ってくれる人もいたけど、侵略した側がそれに乗っかってはいけないなと、気持ちだけ受け取った。
私たちには侵略そのものの責任ないけど、繰り返さない責任はあるんだよね。支配した側が支配された側を「自分たちの一部」とみなす言動をするということは、植民地主義の再生産なわけで、繰り返さない責任を放棄した言動だと思う。それは反差別の実践とは程遠い。