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日本人女性が韓国フェミニズムの活動に言及するとき「私たちの〜」って自分たちを主語にしたり、その活動主体(活動家や団体あるいはアイドルなど)を「私たちの〇〇が〜」と自分たちの一部のように書くのは、植民地主義の差別構造を無視または再生産しているのでめちゃくちゃアカンと思っている。
宗主国と植民地という構造があって、宗主国だった側が旧植民地のモノを自分たちの一部として語るのはグロテスクだよ。西洋側がブラックフェミニズムの活動や功績を「私たちの〜」と自分たちの手柄にしてはいけないのと同じ。
ファンとして「私の推しの活動がとても良い!」と称賛する文脈なのはわかるが、そこにフェミニズムや反差別の視線を含めるなら、まず自分がどの立場にいるかの自戒を忘れちゃダメでしょ…って気持ちになる。フェミニズムも反差別も、差別の構造を無視して語ることはできないのだから。

私は少し前に台湾に行って、台湾のフェミニズム運動や反差別運動に触れたしエンパワメントされたんだけど(行く前からそこそこ親しんでいたが)、とてもじゃないが中国系日本人の私が台湾のフェミニズムやそこから生まれた台湾のエンタメを「私の/私たちの」なんて言えないと心底思ったよ。台湾で出会った人たちは私のことを「同志」って言ってくれる人もいたけど、侵略した側がそれに乗っかってはいけないなと、気持ちだけ受け取った。
私たちには侵略そのものの責任ないけど、繰り返さない責任はあるんだよね。支配した側が支配された側を「自分たちの一部」とみなす言動をするということは、植民地主義の再生産なわけで、繰り返さない責任を放棄した言動だと思う。それは反差別の実践とは程遠い。

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