短歌もそうだけど、書道でもいいと思って出したものが先生がいいと選ぶものと全然違うことがあって、それは先生の見る目がないんじゃなくて私の見る目がない場合が多い。
杭迫先生の書籍にも「目が肥えないと書けない」ってあって、それ読んでから好きじゃなかった古典の臨書に取り組むようになったんだけど、やはりそれからかなり字が変わった。
で、それは短歌にも通じるなと思って、最近は歌集(特に古典)を読むようにもなって、それが結構作品にも影響してる。それまではあまり読んでなかったので。
インプットとアウトプットは繋がってるよなあと思った話。オチはない。
@tina_na それこそ背景がないとわからんわからんになりがち。
@calsmin 訳文ついてはいるんだけどねえ。
@tina_na 単なる訳だけだと情緒に結びつかないから知識だけになりがち。
@calsmin そうなんよねー。学ぶことが多いわ。
@tina_na 架空を設定すると入りこめてないって言われるし(むしろその表層ぶりを詠みたかったんですが??)自分の力不足を思い知り、古典の良さを知る……
@tina_na 知らない言葉は出てこないってやつですなー
@may_may_ そうなんですよねー。臨書も「この字そんなに好きじゃない」と思ってても(不遜)、真似して書いていくことで良さがわかることもあり…。絵とかもそうなんでしょうねえきっと。
ただ、明治〜昭和初期はともかく、古今和歌集とかは完全古典なので、辞書を引いたり文法調べたりでなかなか……別物の勉強ですね……。