不当なことをしてるのは向こうなのに何故こっちがSNSから離れなきゃいけないんだ、向こうが出て行くべきだというのはまったく正しい。私が「離れて」と呼び掛けるのは、それが倫理的に正しいからではなく、これ以上死者が出るリスクを減らせる有効な手段だと思うから。
残念ながらと言うべきか、こういう時に性的マイノリティがどのようにショックを受け、どのような行動がそれを悪化させてしまいがちなのか、私たちはあまりにもよく知っている。
SNSに張り付かずにいられなくて、むごい言葉をわざわざ大量に浴びてしまう当事者の姿が非常に容易に想像がつく。そしてたぶん、若い当事者であればあるほど、そうなりがちであることも。
かつて自分がそうであったり、友人がそうであったり、その結果亡くなってしまった経験を多くの当事者がもっているから。
だから、ほとんど反射的に、逃げろ!ここに逃げろ!今夜を乗り越えろ!と次々に対処法が思い浮かぶ。その対処が論理的に本来の正義とは違っても、ひとまず一夜を乗りきらなければ正義について議論する相手がいなくなってしまいかねないから。
良心や責任感というよりは恐怖心から、まず身を守れと叫ぶ。
特に何者でもないです。「ツイッターからの避難用その2」といったところでしょうか。